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私の人生の中で一番の想い出。 それは幼い頃過ごした上砂川です。昭和23年、上砂川本町の10軒長屋に住み、右側はポンプ、左側は、トイレ、それぞれ10軒で使うという不自由な暮らしでしが、その当時は当たり前の事だったんですね。
そして上砂川小学校へ入学。一年生の運動会で先生の振る鈴の音を追いながら一等賞をとった事、いつまでも忘れられません。下鶉の炭住へ移ってからは上砂川第一小学校へ。下鶉からの通学路、特に冬季は幼い子供には、とても辛い通学でした。下鶉の商店街前の坂道を馬ソリの後ろに隠れて乗り、おじさんに叱られ通った時もありました。
小学校高学年の頃、二階建てに移り、そこから第二中学校へと進学。七夕になると子供達が集まり提灯のローソクに火をともし「ローソクだーせ、だせよ!だーさないと、くいつくぞ!」と、口々に言いながら炭住を回りましたね。お盆になると大人も子供も、ほとんどの人達が公園に集まって、三重四重になって夜遅くまで盆踊りを楽しんだものです。
二階建ての家の近くに配給所がありました。余り食べ物が無い暮らしをしていた私達には、クーポン券を持って行きパンと変えてもらい食べたものです。配給所の裏には、お風呂やさんがあって、いつも仕事から帰ってくるお父さん達が真っ黒な顔をして、お風呂に入りに来ていました。みんな同じ真っ黒い顔なので、どこのお父さんなのかわからなかった事を覚えています。お風呂屋の裏にあった集会所では、5円で映画を見る事が出来ました。その頃たまに浪花節を唄う人が来ると私は浪花節が好きだったので、よく行っていたように思います。
幼い頃を思い出すと、貧乏で上の学校へ行くことが出来なかった事、食べたい物も食べられなかった事、10円札を持って1升のドンを買って食べながらテストの勉強をした事、辛い事ばかりだった様な気がするけれど楽しい事も沢山あったなぁ・・・と、あとからあとから、とめどなく思い出されます。
(by T.Y)
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