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昭和32年7月に二つの町立小学校の校名が改称されることになった。上砂川第一小学校
と上砂川第二小学校がその対象で、改称の物議の発端は「第一」と「第二」の字句に
あった。
順位を表すような第二小学校という呼び方は、本町最初の学校のためにもふさわしく
にない。という点に改正の意義があり......[若生小学校開校80周年記念誌より]
「国民学校になった時に上砂川小学校が第一になって、鶉が第二になった。なぜ古い
学校が第二で新しい学校が第一に......」「国民学校になるとき、学校が同じ町村に
有ったら第一、二、三....と連番的に決めることになった。その時に鶉は小さな学校
だから第二にされちゃった....」「だれが、そうしたんだろう?」「当時は戦争中、
おまけに炭鉱ができて発展した町なものだから、十のところ七つぐらいは行政的にも
経済的にも三井に遠慮があった....」「運動会で他校リレーがあれば、優勝はみんな
向うがさらう──という偏見の見方があった」「結局は万事かなわないという気持も
あったのか....」[同記念誌座談会より]
つまり「歴史性にもとり」「序列感(優劣感)を伴う」という第二側の改称要望が採択
されたわけで、
上砂川第一小学校=「上砂川小学校」
上砂川第二小学校=「若生小学校」
ということで落着した。ちなみに若生小学校の改称校名については、次のような
いわれがあった。
新しい校名を校下父兄より募集したところ、約120種の応募があり、その中から
厳選したのが「若生」である。「若生」については、付近を「若生が原」と呼んだ
昔を偲ぶとともに、若々しい児童の生成発展をねがう意味がこめられている。
[若生小学校沿革誌より]
子供心にも第二というひびきが、何か二番目という感じがして劣等感を抱いていた
ものでした。若生と変ってからは、そんなわだかまりも消え、とても嬉しかった。
[若生小学校第39回生=鈴木志津子談より]
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