歴史(明治のころ)

ここに掲載する資料は、昭和63年発行の 「新上砂川町史」より引用しています。

町名(上砂川)の原拠となった母村「砂川」について、アイヌ語との因果を 求めると、およそ次のような経緯があった。
砂川は、北炭歌志内鉄道が開通するまで奈江村の「歌臼内」と呼んでいたが、 これは、アイヌ語のオタウシナイ(砂のたくさんある河原=石狩川畔)〜オタウシュナイ に漢字を当たもので、駅名設定の際に意訳の「砂川」が用いられ、明治36年の村名 改称で砂川村となった。

なお、歌志内はアイヌ語のペンケオタウシナイ〜ペンケオタシナイに漢字を当たもの で、前記鉄道の開通に際して駅名とし、明治30年に滝川村および奈江村から分村の 際「歌志内村」となったものである。したがって、「歌臼内」も、「砂川」も、 「歌志内」も、呼び名は異なるものの、原拠は同じ同義語というわけである。

年号(西暦) 上砂川地区でのできごと、 砂川 歌志内などでのできごと
明治 元(1868)
明治 2(1869) 8月 旧石狩場所を分け、札幌・石狩・樺戸・空知・夕張・雨竜・上川の7郡を 置く
10月 伊達英橘(邦直)、伊達勝三郎、亘理元太郎(11月)が空知を分領(明治4年罷免)

「北海道行政区画」
明治政府が民部省の中に設置した「開拓使」。開拓使の蝦夷地経営の第一歩は、 明治2年8月15日の「北海道行政区画」の設定であった。この日から蝦夷地は 松浦武四郎の案により「北海道」と命名され、全道11国86郡の行政区画に 線引きされたが、その区画は、

渡島国(七郡)、後志国(十七郡)、石狩国(九郡)、胆振国(八郡)、日高国(七郡)、 天塩国(六郡)、十勝国(七郡)、釧路国(七郡)、根室国(五郡)、北見国(八郡)、 千島国(五郡)
で、上砂川の地は石狩国空知郡に属することになった。なお、国名および郡名も、 およそ松浦武四郎の案によるものであったという。

明治 3(1870) 2月 開拓使権少主典田中鋭次郎ら、上川・空知両郡を検分
5月 開拓使権少典田中義信(鋭次郎)、ナエイからナイに至る地を伊達邦直に 与える
明治 4(1871) 1月 札幌・空知・石狩の諸郡の原野・土地に対し出願のうえ随意に開墾すべき ことが達せられた
明治 5(1872) 6月 開拓使使掌高畑利宣、上川探検に出発、途中、石狩川と空知川二股の中島 に着き、土人4、5戸散財すると記録する(9月帰着)
明治 6(1873) 10月 榎本武揚(釜次郎)、イクシベツと空知川石炭山を調査して石炭調書を作成
明治 7(1874) 2月 空知郡小区全部は、第八大区となる
7月 ライマン地質鉱物調査のため空知川に到着。空知一帯の炭調を行う。
明治 8(1875) 9月 高畑利宣、夕張・樺戸・空知3郡を調査。
明治 9(1876) 6月 開拓使大判官松本十郎、奥地探検の途中空知太に1泊、乙名セッカウシ道案内 として同行。
8月 黒田長官、空知炭山を視察。 9月 石狩国、上川・樺戸・雨竜・空知・夕張各郡は、第二大区第三小区となる。
明治 12(1879) 7月 石狩ほか七郡(厚田・浜益・上川・樺戸・雨竜・空知・夕張)を定め、 役所を石狩に置く(翌13年3月開庁)。
明治 16(1883) 9月 監獄付属樺戸丸で、桜木樺戸副典獄海賀直常ら月形から石狩川を上り、 地形・水利調査。
明治 17(1884) 4月 札幌ほか五郡役所設置(札幌、夕張、空知、樺戸、雨竜、上川)。
明治 19(1886) 5月 高畑利宣、空知太〜忠別太間仮道路開削のため空知太に草小屋を作り 測量に従事。市来知〜忠別間上川仮新道起工。樺戸、空知集治監の囚人約500人 使用。
上川道路の開削

石狩川の水運以外に北上の方途のなかった砂川地方に、陸路を開いて、開発圏の 北上を確実にしたのが「上川道路」であった。北海道庁設置以前の本州方面と 道央を結ぶ確なルートは、

明治6 青森〜函館の定期航路開く、札幌本道(函館〜札幌)開通。
明治15 幌内鉄道(手宮〜幌内)全通
であって、北限は岩見沢どまり、以北は石狩川の水運に頼らざるを得なかった。

三県時代末に伊藤博文の命を受けて来道し、つぶさに三県一局統治の開拓の もたつきを視察した金子堅太郎が、「三県巡視命書」の中で、道央を縦貫する 幹線道路開削が急務であることを建議したのがきっかけとなり、北海道庁設置 とともに明治19年5月に、初代長官岩村通俊が道庁属の高畑利宣に命じて、 市来知(岩見沢)〜忠別太(上川)間道路の開削に着手したのが、いわゆる「上川 道路」の開削で、現在の国道12号線の最初の姿であった。

6月 空知太忠別太間竣工。空知川渡舟私設を許可、山形県人三浦米蔵出願。
8月 空知太〜市来知間竣工。
この年より、20年にかけて、道庁技師山内徳三郎ら歌志内・上砂川炭田を発見。
明治 20(1887) 5月 上川仮道路改修工事に着手、空知太〜市来知間は空知監獄、国見峠〜忠別太 間は樺戸の囚人を使役し、22年9月竣工。
6月 三浦米蔵、南空知太で旅人宿開業。
明治 21(1888) 6月 鳥取県人岡本栄蔵、砂川市街で宿業飲食店を開く(砂川市街開発の始祖)
7月 道庁技師坂市太郎ら上オタウシナイ炭田調査に来る。
8月 長野県人浅田三津次、南空知太で物品販売を営む。宮城県人中山キヨノ、 南空知太で飲食店を開く。
明治 22(1889) 1月 空知・夕張郡役所を市来知村に設置。
3月 高畑利宣、空知太(滝川)で駅逓を経営。奈井江に駅逓設置。
9月 高畑、空知太に酒造業を営む。
10月 坂市太郎技師上砂川炭田調査。
11月 北海道炭礦鉄道株式会社が鉄道工事を始める。
12月 奈江請願巡査派出所設置。
この年滝川屯田兵始めて空知太にはいる。
明治 23(1890) 1月 北海道庁令第一号をもって滝川村を設置、滝川村戸長を役場開庁(庁令第二号)
4月 歌志内に炭鉱が開かれる。
8月 奈江村設置(滝川村の一部を割譲)。福井県人山田惣太郎、砂川〜新十津川間に 渡守を開業。
11月 奈井江、砂川市街の区画測量が行われ、貸付を行う。岩見沢〜空知太間に電話線 架設。石狩川の砂利採取始める。
12月 岩見沢〜歌志内間鉄道試運転。
この年坂市太郎、下オタウシナイ方面の鉱床調査。 北海道炭礦鉄道株式会社が鉄道工事を始める。砂川小市街を形成す。
明治 24(1891) 2月 空知炭礦採炭開始。
3月 石狩川汽船運行を江別樺戸間から空知太に延長。樺戸・雨竜・上川郡役所及び 空知・夕張郡役所を札幌ほか4郡役所に併合。 坂市太郎「下オタウシナイ(上砂川)煤田略報」を提出。
6月 村総代人選挙が行われ、村政参与の端が開かれる。
7月 北海道炭礦鉄道会社、岩見沢〜歌志内間開通。砂川駅、奈井江駅設置。
8月 秋田県人伊達庄蔵ら三吉神社(砂川神社)を建立。豊沼地方開拓。
空知線鉄道

日本で3番目の鉄道、北海道では最初の鉄道として、明治15年11月に幌内線鉄道 (手宮〜幌内)が全通して、空知郡に機関車の警鐘や警笛が鳴り渡ってから9年、 24年7月5日に鉄路が砂川を経て歌志内へと延た。これが「空知線鉄道」で上川 道路開通(改良)から一年半後の大快哉、わずかの歳月の間に道路と鉄路の二大 交通ができた砂川地方はもちろん、空知地方の開拓は大きく進展することになった。

明治 25(1892) 2月 砂川〜空知太間炭礦鉄道開通。
4月 砂川地方貸付地の成功検査、合格者10分の1にとどまる。
この年奈井江に中野佐吉、伊藤広幾、佐藤庄五郎、大地積を貸下げ開発す。
明治 26(1893) 1月 砂川信光寺建立。
12月 砂川西願寺建立。
この年氏家与三郎の私立学校が「公立砂川尋常小学校」となる。
明治 27(1894) この年坂市太郎、上歌志内礦の鉱区出願。
明治 28(1895) 3月 札幌警察署滝川分署を設置。
6月 奈江村戸長役場を現砂川市東1北5丁目付近に設置、数ヵ月後、現中央バス 入り口前十字路に移転、初代戸長伊藤寛吾就任。
8月 砂川郵便局設置、浅田三津次局長になる。
10月 奈江村尾崎吟蔵ら有志十数名、鶉地域の調査に入る。
明治 29(1896) 2月 大阪の人木村兵吉、東奥で奈井江炭鉱採掘始める。
3月 札幌警察署滝川分署(6月18日岩見沢警察署滝川分署となる。)砂川巡査 駐在所を設置。
5月 奈江村ほか八村戸長役場内に浦役場設置。
この年徴兵制布かれ、奈江村から32名受検。砂川で新聞が取り扱われ始める。 西山で北海道炭礦鉄道会社石炭試掘、西山部落開発し上砂川文化発祥の地となる。
明治 30(1897) 5月 山内甚之助福井県鶉村から奈江村に移住。
7月 歌志内村設置、歌志内村、富良野村戸長役場を歌志内に設置。
この年奈江村の人口7,532人。
明治 31(1898) 5月 山内甚之助鶉農場52万7,635坪の貸付を受ける。 「鶉農場開拓記念碑」
6月 奈江村二代戸長細川弘就任。
7月 砂川から旭川までに鉄道開通で南空知太駅廃止。
9月 石狩川氾濫、砂川市街大水害、浸水家屋290戸、空知川氾濫(空知川の本流が 変り、赤平沼ができる。現滝川公園池)、沿岸農家の被害甚大。
この年 三井鉱山合名会社、上砂川及び奈井江の炭調を開始。
明治 32(1899) 1月 砂川郵便局で電信事務取扱い開始。 三井最初の上砂川地方の試掘権を得る。
4月 山内甚之助貸付地に入地し上砂川の第二次文化発祥の地となる。
6月 奈江村三代戸長に黒沢作弥就任。
8月 石狩川氾濫、砂川市街2年連続の大水害。
この年 鶉農場に5戸入地。 奈井江市街大火。
明治 33(1900) 10月 焼山簡易教育所設置。
この年はじめての寄席「旭座」できる。 三井、西山正吾を団長にこの地方の大掛かりな調査を実施。鶉農場に南乙吉ら 15戸入地。
明治 34(1901) 4月 奈江神社建立(明治39年砂川神社と改称)。豊沼尋常小学校設置。 部落会「鶉会」を作る。
鶉会

鶉の開墾が進んで戸口が増加すると、仕事の上での連絡や隣近所との交際も増えたが、 遠く故郷を離れた開拓者達にとって、隣近所との交際は替え難い安らぎであり、 力ともなった。そうしたことから、

入地当初は土地を開墾することだけが仕事であったから、特に用事というほどのこと はなく、山内家が役場の事務所のようなわけで、たまには山内家へ出かけることが あった。従って、役場から何らかの示達や連絡があったり、相談事項があったりする と、山内甚之助は部落の者を自宅に集めて話し合い、役場に出かけなければならない 時は、甚之助が砂川まで出て事に当たったのである。
という慣行ばかりでは事足りなくなったので、明治34年の春に部落会を作ることにし た。つまり"鶉農場"(同年命名)の部落組織で、「鶉会」と呼んだ。

鶉会は、沢の下から上=奥にかけて移住者の住居が少しずつ集まって、自然に四つの 集団になっていたので、運営しやすいように四つの組に分けられ、奥の方から下にか けて「奥組」「中組」「学校組」「下組」となり、それぞれ組長を置いた。

8月 滝沢直治ら鶉農場に入地(13戸)。
9月 石狩川、空知川氾濫、袋地が石狩川の対岸となって生まれた。
この年砂川から歌志内文珠選炭機付近までの道路開削。豊沼南五号線で石炭採掘を 行う。 文珠炭礦、現第二選炭機付近に坑口を設け砂川までの道路工事に着手、途中で中止。
明治 35(1902) 1月 西山私立教育所開所。
4月 砂川小学校に高等科設置。奈江村二級町村制施行。
6月 奈江村会議員選挙初めて行われる、議員12名。 鶉神社建立。鶉農場簡易教育所建設し開校。奈江村に部落制布かれ、山内甚之助 鶉部落部長となる。
10月 砂川消防組創立。
11月 三井物産合名会社砂川工場創立。
この年砂川の人口9,547人。 大凶作。
明治 36(1903) 4月 奈江村二代村長吉田卓就任。
6月 鶉部落初めての山火事。
8月 奈江村を砂川村と改称。砂川〜歌志内間里道完成。
砂川村に改称 村勢の発展に伴い、諸般の施設や事業がお目見えするようになったが、何とも奈江村 の「奈江」がすっきりしなくなってきた。"奈井江"とまぎらわしいうえ、駅や郵便局 の"砂川"とはかけ離れていて、行政上、違和感的な不便を感じたので、村名変更の議 が提起されたわけであるが、
奈井江地区の住民感情としては「奈江」に大きな愛着を持っていたので、村名問題が 明治三十六年三月二十四日の村会に提案されると、「どうしても変えるのであれば "砂江村"か"江川村"にすべきだ」とする奈井江出身議員の反対があったが....
で、理事者案どおり「砂川村」と改称することに決し、八月二十三日から砂川村と なった。
この年 文珠炭礦、上砂川方面の企業とりやめ、旧5坑方面に事業を起こす。
明治 37(1904) 4月 西山私立教育所、簡易教育所となる。
9月 砂川村、明治31年に次ぐ大水害となる(災害戸数590余戸、人員324人、 田畑1,544町歩)。
この年 鶉部落にも動員令下る。
明治 38(1905) 8月 鶉部落成功検査合格(51万8,306坪)。
砂川村役場庁舎、日露戦争の戦勝記念として新築落成。工事費1,700円。
明治 39(1906) 10月 北炭歌志内線、国有となる。
12月 空知大橋完成。
明治 40(1907) 4月 砂川村一級町村制施行、村会議員16名。砂川郵便局で電話業務開始。
8月 常設委員設置。宝来劇場できる。
9月 鶉農場を解散し、砂川村第9部となる。
11月 第七師団工兵第七大隊演習廠舎設置。
明治 41(1908) 4月 砂川尋常高等小学校、南3号線に新築移転。
11月 西山請願巡査派出所設置。砂川と畜場創立。
明治 42(1909) 2月 砂川市街大火、砂川橋西から南1丁目まで両側一円。
4月 西山簡易教育書、公立西山尋常小学校となる。
6月 鶉農場簡易教育所、砂川尋常高等小学校の鶉分教場となる。
明治 43(1910) 5月 滝沢直治村会議員となる。
この年から 44、45年にかけて、砂川村共有地の一部を農家に売却。
明治 44(1911) 1月 豊沼尋常小学校廃止。
3月 三井木工場縮小。
7月 三井鉱山合名会社を三井鉱山株式会社と改称。
在郷軍人分会創立(砂川、奈井江)。
10月 豊沼青年団結成。
12月 三井木材工場インチ材を欧米に輸出(本邦最初)。
明治 45(1912) 1月 富良野線を砂川から分岐敷設する法律が成立したが、実現に至らず。
5月 砂川村三代村長に野口陳吉就任。
この年 三井重役団琢磨、一坑炭層露頭群を視察。

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