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歌志内境界のもつれ 昭和初期に砂川町と歌志内村との間で、境界をめぐって紛議をかもしたことが あった。問題になった地域は、パンケウタシナイ川(パンケオタウシナイ川)が 上流で分岐した二つの川(無名川=水源沢とパンケシーオップ川=温泉沢で、 前者が南側、後者が北側にある)に挟まれたところで、大正年代までは帝室林野 局が所管する御料地であって、一般の人にはほとんど無関係であったから、 歌志内村(明治30)の際の「パンケオタウシナイ川ヲ遡リ奈江村ニ界ス」が、 どちらの川であるのか、明らかではなかった。ただし歌志内村では、無名川を 境界と思っていたらしい。 しかし、三井砂川鉱業所が開抗後、この地域や中町・奥沢地区を帝室林野局から 借受けて事業の拡張に乗り出し、道路をつけ、住宅を建設するに及んで、境界 問題がしだいに重要視されるようになった。まず昭和3年4月に坂田鶴松ら砂川 町会議員有志が、境界変更(このときは紛議となった地域の下流地区)について 町会に建議し、満場一致で、 意 見 書となった。これと前後して当該地域である「歌志内村字下歌志内御料林地=二抗 社宅八棟(現キャンプ場)」に住む高橋常吉ほか80名も、道庁長官に対して境界 変更を訴え、次のような理由書を提出した。 理 由 書こうした一連の陳情運動について、三井鉱業所も黙視していたわけではなく、 鉱業所としても積極的に推進する方針を固めていた。・・・ 昭和4年に至って三井砂川鉱業所は、「歌志内村ニ属スル」地積1,813町9反 五畝13歩を、帝室林野局から払い下げを受け、三井としては、町村界問題が ますます緊急事となっていた。その後、三井では多くの地図や資料の検討を 行い、 従来、右(南側)に分岐しているのが本流とされていたが、これは誤りで、 奥地に源を発している(北側)流れが、パンケウタシナイ川の本流である。との確信を得て、さしあたって社宅等のない地域であったが昭和6年10月25日 に、歌志内村長に対して、542町6反6畝歩は砂川町の区域に属することが 明らかになったので、既に納付した昭和6年第1期分の特別税反別割916円 21銭のうち、284円90銭の還付を滝川税務署に申し立て(誤謬訂正の)を 行ったところ、所属組み替え地番更正の通知があった。 として課税取消し(還付)の異議申し立てを行った。これに対し歌志内村会は、 次の理由によって却下を決定した。 (1) 砂川町と歌志内村の境界は、明治30年7月北海道庁告示第142号に より「パンケオタウシナイ川=パンケウタシナイ川ヲ遡リ奈江村ニ界シ」と あることからみて、歌志内村に属することが明らかである。三井砂川鉱業所は歌志内村会の決定を不服として、「北海道庁備付原図ハ 該地ガ砂川町所属」であると、歌志内村会の決定取消しを北海道庁長官に 訴願した。これを受けた北海道参事会では、「パンケシーオップ川がパンケ オタウシナイ川の主流である」として、訴願人の主張を認め、昭和7年 4月20日に、 歌志内村長ノ為シタル賦課ハ之ヲ取消ス旨の裁決を行った。 この裁決を不当とする歌志内村は、ついに北海道参事会を相手取って、行政 裁判所に行政訴訟を提起したが、砂川町も、この訴訟に重大な利害関係がある として被告側に立って訴訟に参加し、 若干の「錯誤」があったことは認めるが、歌志内分村当時以来、係争地を 砂川町所属として取扱ってきた。ことを主張した。一年半に及ぶ審理の結果は、昭和8年11月11日に、 1、もしパンケソーオマップ川=パンケシーオップ川をもって境界としたので あれば、告示の文章の中に明記されるべきで、明記されていない以上は、 無名川をパンケオタウシナイ川の本流と認めるべきである。との理由に基づき、 原告が訴外三井鉱山株式会社ニ対シ為シタル昭和6年度第1期特別税反別割ノ 賦課ニ対スル同会社ノ訴願ニ付被告ノ昭和7年4月20日付ヲ以テ為シタル裁決 ハ取消スと判決され、歌志内村の勝訴となった。 これにより、三井鉱業所用地内を流れる無名川が、両町村の境界に確定したので、 歌志内村の財源は確保されたものの、納税、就学、兵事、選挙、火葬、配給などの 行政の末端面では、住民の不便や恩恵の不均衡が未解決に終り、以後も混乱が 絶えなかった。 |
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